徳之島天城町
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人口と世帯数

 平成29年11月1日現在
 世帯数 3,128世帯
 男性 3,146人
 女性 2,974人
 合計 6,120人
過去履歴


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天城町の概要
公開日時:2011/03/01 00:00
徳之島の位置
 鹿児島港から468キロメートル、南西諸島、奄美群島の中央に徳之島があります。
 徳之島は、周囲84キロメートルで、徳之島町、天城町、伊仙町の三町からなり、人口は約3万人です。亜熱帯気候をいかしたサトウキビ栽培を中心として、バレイショやサトイモ、マンゴーやビワ、メロン、タンカン等の果樹園芸が盛んに行われています。

天城町の位置
天城町は、徳之島の北西部にあって、東経128度52分、北緯27度45分に位置し、ほぼ徳之島の西半分を占めます。

スポーツ愛ランド 天城
 トライアスロンin徳之島で有名な天城町は、鉄人 たちの島とも言われ、自然そのものがスポーツに最適な環境です。
 陸上・球技・水泳のトレーニングや合宿に向いており、宿泊施設・競技施設が完備され、マリンスポーツも楽しめます。

沿革・人口・面積
 明治20年兼久曖・岡前曖を合併して、阿布木名村外9か村となり、同41年に島しょう町村制度が実施され、山村など5か村と合併して天城村となった。大正6年東天城村が分離して、天城村は現在の境域が形成される。昭和36年1月1日町制が施行され天城町となる。
 平成17年10月国勢調査人口は男3,493人、女3,527人、計7,020人、世帯数2,820戸で一世帯当りの人口は2.54人となる。広ぼう東西8キロメートル、南北16キロメートル、面積は80.40平方キロメートル。

自然・気候 
 天城町は・東は徳之島町、南は伊仙町と隣接し北東から東南にかけて一連の山岳によって囲まれている。北から天城岳(533メートル)、三方通岳(500メートル)、美名田山(438メートル)の諸峰が連なり、隣町との境をなしている。これら山麓に源を発する河川は、秋利神川(延長13キロメートル)、港川、真瀬名川、湾屋川となって西流し東シナ海に注いでいる。14行政区のうち、当部、三京集落は山間部にあり、他の12集落は海岸線に沿って形成されている。気候は温暖な亜熱帯海洋性で、降雨量も多い。6月頃から10月頃まで台風が来襲、とくに8、9月が最も多い。

ユイの里
「共同」「労働力の交換」
“ユイ”とは“結い”とも書き、辞書に“結い”とは、「田植え・屋根ぶきなど、助けあってする共同作業」とある。
私たちの先祖は、子弟の教育に尽くした。また、ふるさと天城をこよなく愛した。
しかしながら懸命の働きにもかかわらず、貧しさからの脱却は容易ではない。干ばつ・台風が追い打ちをかけてくる。農家の収入は予想の半分にも満たない。悲嘆にくれる。
だが、しょげこんでは駄目だ。みんなして励まし合って、難局を乗り切ろう…と。
台風で倒れた“またやどい”(粗末なカヤぶき住居)を集落民全部で、つぎからつぎと立て直して行く、田植えから収穫までの作業も隣組で行う。さとうきびの刈り取りから黒糖づくりも共同作業で処理する。そして一日の労を終え、一同が盃を交わしながら明日の仕事について、段取りなどを話し合う。
こうして、楽しみも苦しみも分かち合い、励ましあって今日の集落を築いてきた。この、“ユイ”=助け合い励まし合い=の精神は、集落の根底に脈々として、今も確かに息づいている。 

                        カヤぶき住居                                              田植え風景
             

町木・町花
■ソテツ(町木)

ソテツは、約2億年前現われ「生ける化石」と呼ばれ、奄美大島・沖縄・本土の一部と中国四川省だけに自生している植物です。またその実、幹からはデンプンがとれ、色々な食品に加工される。戦中・戦後、飢餓は島民の食料源として、重要な役割を果たした。

■ツツジ(町花)

ツツジは徳之島、特に天城側の山野によく育ち、花は2月から3がつにかけて一斉に開花する花色は真っ赤・帯紫紅色・淡紅色と変化に富んでいる。庭木・盆栽としても親しまれている価値の高い町花である。

町章

天城町の「天」を図案化したもので、円は全町民の和を現し、天にのびる矢印は、町の飛躍を表現したものである。(昭和39年7月公募)

町名の由来
 同町と徳之島町の境にある天城岳が町名の由来と言われている。当地には「大昔、アメキウデー(雨気岳=天城岳の旧名)にアメンキュという夫婦の神が天から降りてきた」という神話があり、雨気(あめぎ)が天城に転じたといわれる。明治41年の島嶼町村制で阿布木名方と山方が合併した際、新村名として採択された。昭和36年に町制施行し天城町となる。

天城町民憲章
 わたしたちは、美しい自然と祖先のきずいた歴史と伝統をうけつぎ、子や孫に誇れる町づくりのために、ここに町民憲章を定め、その実践につとめます。
一、わたしたち天城町民は、きまりを守り、力をあわせ、平和な町をつくります。
一、わたしたち天城町民は、心と体を鍛え、明るい健康な町をつくります。
一、わたしたち天城町民は、自然を愛し、花や緑を育て、美しい町をつくります。
一、わたしたち天城町民は、仕事に励み、みのり豊かな町をつくります。
一、わたしたち天城町民は、進んで学ぶ、香り高い文化の町をつくります。
【昭和56年7月1日制定】

教育文化振興宣言の町
 ●新たな時代に雄飛する人づくり
●島の担い手となる人間性豊かな薫り高い文化の町づくり

1.親のよき姿勢で実践する家庭づくりを推進する。
2.大人のよき姿勢で実践する地域づくりを推進する。
3.教師のよき姿勢で実践する学校づくりをすいしんする。
4.OSOS運動を広げよう・高めよう・続けよう
O・・・おはよう・・・あいさつ
S・・・進んで学ぶ・・意欲
O・・・思いやり・・・助け合い
S・・・スポーツ・・・健康
【平成元年5月6日宣言】
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